想い、、その先へ!!

意思と行動で、偶然を必然に変えて、、  産業カウンセラー“enpapa”のブログです!

的山大島

P7191436_convert_20150720171233.jpg平戸港

的山大島は、
平戸港から連絡フェリーで
45分のところにある。

礒釣りやキャンプなどが楽しめるが、
花粉の飛来がない為、
花粉症やアレルギーの療養キャンプも
行なわれているらしい。
風力発電の風車が数多くある。

この島は、祖父・父・長兄の生まれ故郷。
美しい海と港を見下ろす高台に
代々の墓所がある。

お寺で法要のあと、
無事に納骨を済ませた。
継母も父のそばに眠ることができて
きっと喜んでいることだろう。

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途中で見かけた放牧中の牛たち

この島の公園に、
祖父ゆかりの石碑がある。
師恩之碑2011.7.17師恩乃碑

祖父は、
戦前、戦後、この島の小学校で
教鞭をとっていた。

戦前の一時期、
多くの教え子を
夜、自宅の2階に集め
勉強を教えていたそうだ。

その後、平戸や佐世保の旧制中学に転出。、
戦後はまた島に戻り教えていた。

後年、祖父を慕った教え子たちが、
建てたのがこの “師恩乃碑”

私が3歳の時に亡くなったので
記憶は無いが、
父はことあるごとに
祖父のエピソードを語っていた。

父の祖父への想いと同様に
私も、この島へ来ると、
いつのまにか父の思い出を
たどっている。

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平戸

連休2日目、平戸大橋を渡り、平戸へ
ここは、生母や次兄、私が生まれたところ。

母方の祖父母の家は、
平戸大橋架橋の際、
取付道路の工事に伴い
立ち退きになってしまった。

その家は、昔の武家屋敷で、
道路から家の入口まで
石畳の道と高い石塀が
延々と続いていた。

中庭も一面、石畳になっていて
隅にある井戸では、
スイカやウリを冷やしていた。

広い庭には数羽の鶏が放し飼い、
木の陰に産んだ卵を見つけるのが
夏休みの朝の日課だった。

平戸大橋から市街地に入る下り坂は、
“大手の坂”と呼ばれ、
平戸城の表門にあたる。

その坂の下の造り酒屋の隣に
私が生まれた家があった。
車で通るといつも、
その家の庭で幼い私を抱いた
若い生母の写真を思い出す。

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朝一便の船で、父の故郷、的山大島へ

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田平

P7181422_convert_20150720171004.jpg田平から見た平戸大橋

四十九日の法事の後、
車で田平へ移動。

田平は、平戸口とも呼ばれ、
以前は平戸への連絡フェリーの発着で
賑わっていた。

幼少の頃、平戸の祖父母の所へ行くために
佐世保からのバスを降りると、
港の喧騒と潮の香りに溢れていた。

バスターミナルは、
何台ものバスがひっきりなしに発着し、
到着や行先を知らせるアナウンスが
辺り中に響いていた。

魚市場の岸壁で
魚を水揚げするたくさんの船、
岸壁で魚釣りをする人も、、、
食堂やみやげ物店も多くあった。

フェリーは2~3隻が交互に
平戸瀬戸を往復していて、
着くたびに多くの人や車、バイク、
荷物を載せたリヤカーが降りてくる。

小学生の私は、
バス旅の後の開放感と
平戸への短い船旅が嬉しくて
待ち時間には、
いつも港中を歩き回っていた。

後に平戸大橋が出来て陸続きになり、
フェリーも無くなった。
今では、バスターミナルや港は
人影も少なくひっそりとしている。

便利の代償として、
活気や賑わいが消えて、
潮の香りさえ薄くなったように感じる。

翌日は、母の納骨の為、
平戸から父の故郷へ。

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四十九日

P7181414_convert_20150720170933.jpg千両の花

三連休の初日は、
継母の四十九日法要だった。
七日ごとの法事もこれでひと区切り。

いつも思うこと。
それは、葬儀や法事は故人の為のみならず、
残った遺族の為にでもあるということ。

葬儀に関わる諸事に忙しくしている間は、
自分の感情は、
心の奥にしまい込んでいるが、
火葬後の収骨の時には、
不思議なことに、
いつのまにか悲しみが、
ひと区切りついている感がある。

葬儀に連なる法事ごと、
そして時間の経過とともに
感情の昇華が進むのであろうか。

その後、
故人が生前使っていた物をみるたびに
はたまた、生活していた空間に
その人が“もうここにいない”ことを感じた時に
喪失感がじわじわと押し寄せてくるが、、、。

平均寿命を超えた父と継母を見送った私は、
命の順番、、、と割り切って自分を納得させているせいか
悲しいけれど、辛いとか、悲壮感はない。

年齢を重ねた親を送った時と
連れ合いや子供を亡くした場合は
悲しみや喪失感自体はそれぞれ違っていて、
その深さや癒えるのに要する時間も様々で、
比較はできない。

父の場合は
36歳の時に妻(私の生母)を亡くし、
数年後には20歳の息子(私の兄)を亡くした。
当時、悲しみに打ちひしがれた父を見た時、
心底どうなるんだろうという心配が大きく、
私自身の悲しみなど、
取るに足らないような気がした。
同時に、傍観者みたいな自分があったのも事実。

その父も法事のたび、時間の経過と共に、
すこしずつ自身の悲しみに向き合い、
区切りをつけ納得したのだろうか、、、。

傷は一生残るものの人生の辛い記憶として
深い部分にしまい込んだのであろう。
晩年、その時の心情は語らなかったし、
私もあえて聴かなかった。

法事は、残された者の心を癒していく
マイルストーンたる役目があるのかもしれない。

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落花生

落花生の花が咲いた。

この花がやがて地中に潜り
実を結ぶ。

収穫して直ぐに塩茹でした落花生は
とびきりの絶品。

待ち遠しい!

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術後初の精密検査

2月の手術以来、6ヶ月目になり
精密検査を受けた。

総合受付で、再診予約のチェック後
泌尿器科外来に行くと
入院時に病棟でお世話になった
看護師さん数名が受付にいて、
笑顔で迎えてくれた。
ちょっと里帰り気分で談笑。

検査フロアは少々混んでいたが、
尿検査、血液検査の後に、
造影剤を使ったCT検査。

造影剤を使わない撮影の後で、
いよいよ造影剤の注射。

注射後、1分ほどで
身体の奥が熱く感じる独特の感覚だ。
いつものことだが、
血液が物凄い速さで
身体の中を巡っている事を実感する。

すべての検査が終わって、ふたたび外来へ。
待合室で診察の順番を待つ。

この病院の泌尿器科は3人の先生がいて、
主治医は泌尿器科部長。
入院時の病室担当医は
他の病院へ異動されたそうだ。
代わりに女性の医師が入局している。

浸潤性膀胱がんは、膀胱全摘出しても
腎臓や尿路での再発、
肝臓や肺への遠隔転移があるので、
完治はない。
術後に書いてもらった診断書でも、
治療中となっている。

そんなことを考えると、まだ病人?
いやいや悪いところを取ったので、
健康体に戻ったと言いたいところ。

“予期しない(したくない)ことを
      言われるのではないか?”、、、という不安
“術後6ヶ月だから、再発はまだ早い、
         大丈夫なはずだ!”、、、という妙な確信
いろいろな思いが
ぐるぐる渦を巻くように湧き上がってくる。

初診の時や入院前の診察の時と同じように、
少々不安な気持ちに陥った。
かえって、がん宣告の時の方が
ポジティブだったような、、、

モニターに予約番号が出るまで
ひたすら待つこと1時間半。
ようやく、表示が出て、診察室へ。

“お待たせしました!”

主治医の明るいあいさつに
良い結果の予兆を感じた。

CT画像をクリックして動かしながら、、、

“検査の結果は、どこも異常ありません。
 肺に異常(転移?)が出ることがあるので、
 肺から腹部、腰部、各リンパ節などを検査しましたが、
 どこも異常はありません。
 腎臓や(造設した)回腸導管も良い状態です。”

“2種類の腫瘍マーカーの値も、
 術前に比べ、術後と今回が下がっているので、
 腫瘍を取り除いた結果だと思われます。
 今後、数値が大きく上がれば
 詳しく調べる必要がありますが、
 今のところ大丈夫ですね。”

医師の説明に、
ホッとして私も顔がほころんだ。

次回は10月の診察とストーマ外来、
そして1月に1年目の精密検査となった。

ひとまず、一回目の半年クリア,,,

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ストーマが小さくなった

ストーマ(腹部に作った尿を出す出口)は、
回腸導管手術での造設直後は腫れていたが、
時間が経つにつれ徐々に小さくなっている。

3月・・・32mm (退院時の直径)
      ↓
5月・・・29mm
      ↓
今月・・・25mm

2ヶ月ごとくらいに
ストーマ外来で診てもらっているが、
もうこれで落ち着くだろうとの事。

そのため、
面板(尿袋を装着する為に腹部に貼るもの)の
フランジ部分の直径も、
57mmから44mmと
ひと周り小さいタイプになった。

ウロストーマの装具
P7091320_convert_20150710223901.jpg上が尿袋、下が面板
左が44mmタイプ、右が今まで使っていた57mmタイプ

装着した感覚も、
従来のものに比べて、“小さい!”と実感。

ストーマ装具の交換周期は、
夏場ということもあって中4日。
途中での尿漏れも、
ストーマ周辺の皮膚のかぶれもなく
いたって順調。
(ただし、不規則な便通は相変わらず、
イレウス(腸閉塞)には、要警戒中)

装具の費用は、市の障害者給付があるので、
若干の自己負担で済んでいる。

来週は、退院後初めての
精密検査(CT造影など)が控えている。

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青春回顧

今週も、毎週の法事でいつものように帰省。
そんな中、昨晩は、高校のクラス会に出席した。

数年おきに5~6名が集まっていたが、
今年は急遽、連絡をとりあって
東京からの2名を含み、13名が集まった。

数年振りもいれば、42年ぶり(卒業以来)も、、、
還暦過ぎのおじさん・おばさんたちだが、
面影は残っていて、誰だかすぐにわかった。

いろいろな想い出、近況や孫の話から、
定年、年金、病気や健康の話になるのは
この世代お決まりのコース。

とはいえ、しがらみのない
言いたいことが言える関係は、
いきおい、話を弾ませる。

笑顔が溢れた楽しいひとときだった。

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水引草


実家の庭から数株移植した水引草
細い糸のような花芽を伸ばしている。

よく見ると、、、
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小さな可憐な花が付いている。

細くて紅白の色合いが
水引に似ているのが花の名前の由来らしい。

深川製磁の絵柄にもなっていて、
その清楚な雰囲気に
なんともいえぬ魅力を感じる。

梅雨の時期の楽しみのひとつ、、、

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7月解禁

7月1日から、
来春高校卒業者の求人活動がスタート。
早速、この数日間、
ハローワーク受付済みの求人票を持って
指定校をいくつか回り、応募と推薦をお願いした。

私が勤務する会社は、
レーザ加工装置や各種生産設備、
制御盤・配電盤などを製造する精密機械装置メーカー。

リーマンショックの影響で設備投資が冷え込み、
その影響を受けて、新卒・中途採用とも
数年間凍結した結果、若年層の補強が急務となっている。

中途採用は一昨年より再開し、
毎回縁あって良い人材に恵まれている。

高卒採用については、
昨年から、求人企業が激増し、
当社指定校の工業高校の求人倍率は、
2.6~3倍にも上っていて、
“今年はもっと激しいのでは、、、”
との情報もある。

高卒者は、
工業高校の電気科・機械科出身のエンジニアが多く、
地元出身者がほとんどだ。
幸い当社では、高卒の定着率が良く、
全社社員120名(大卒含む)のうち40名程は
高校新卒での入社以来、長年継続して勤務している。

地元企業で創業50年、
リーマンショックの荒波を乗り越えて、
最先端の素材加工技術も特許取得し、
“ものづくり”の極みを経験できると自負している。

各校、数回の事前訪問も含め、
しっかりアピールさせていただいたが、
結果はいかに、、?

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